兵庫県探訪:三木編

Filed under: General,兵庫県探訪 / 7月 28, 2011

山羊と

茨城県より関さんが遊びに来られたので車で三木まで連れて行ってもらいました。
古の神秘を訪ねる兵庫県探訪シリーズです。
三木と言えば金物が産業としては有名ですが、歴史的には元祖兵糧攻めで有名な「三木合戦」の故事があります。「太閤さん」と呼ばれ関西では一般に人気が高い豊臣秀吉ですが、三木においてはその立場も微妙です。まさに畿内と西国がぶつかりあう場所。兵庫県ならではの魅力溢れる地域と言えましょう。

UFO多発地帯の裏六甲に位置し、UFO写真家武良さんへの取材が行われた事でも好事家には有名な箕谷のフレンチの名店「Roi FR」にて腹ごしらえをし、いざ三木へ出発。志染川に沿って一直線に車を走らせているとなんとも危うげな小屋を発見。とりあえず写真を撮りました。

気を取り直して一本道で三木市に入り、まずは千体地蔵へ。行基が刻んだという菩薩を中心に多数のお地蔵さんが並ぶ雰囲気のある場所です。これが本当に行基が刻んだ菩薩像であるなら7-8世紀の遺物ということであり、これは非常に古い物ということになります。今も信仰される子宝祈願の場所とのこと。人形塚も併設されており、毎年8月23日、24日には人形供養も行われるとのことなので「生き人形」さんもそろそろこちらで成仏されてはいかがか?近所では山羊を飼っている家もあり、非常にのどかです。

次は特に場所を秘しますが、私の友人の林君が神秘体験をしたという池。畔には古いお墓が残っており、それなりの歴史は感じさせる場所です。ゴミひとつ落ちておらず森の中の小さな池と言った風情で雰囲気は最高。しかし期待したような神秘体験は得られず。こちらにまつわる神秘体験話(怖い話)は面倒なので書きません。直接聞いてくれたら話しますので直接私に尋ねて下さい。

秀吉による兵糧攻めにあい悲劇の故事が残る三木城趾へ。憎き秀吉であるはずなのに「なんか人気のある太閤さん」の死してなお絶大な影響力を残す天下人ぶりに抗いきれず、市中に「秀吉本陣跡」があるなど、なんとなく秀吉を悪者にしきれない雰囲気があります。城趾の三木合戦図解でも、兵糧攻めの末降参した切腹前の別所氏に秀吉が鯛を差し入れをする図がわざわざ描かれています。穿った見方ながら「町おこしのためには秀吉も利用したい」との雰囲気も。三木を攻めた時の秀吉はあくまで織田軍の将校であったはずなのに、ことさら秀吉が強調されるのもやはり秀吉人気故でありましょうか。

踵を返してまた市内の東側へ。今度は三木出身のよち君オススメの隣にある池の水かさが増えると水没するという若宮八幡宮へ。残念ながらどこがどう水没するのかは今イチつかめませんでした。しかしながら雰囲気はなかなかです。

さらに東へ戻り伽耶院近くの仁王門へ。こちらも行基の手による仁王像との事ながらやはり秀吉の三木攻めの際に焼かれてしまったといいます。今だに焼け跡が残る足の部分と失われてしまった頭部が生々しい。

北上しグリーンピア三木を越えてゴルフ場の前にある、なんとなく有名な廃墟「スナック帯」跡へ。竹やぶに埋もれてしまって何がなんだかわからないし、なぜこんな山中にスナックがあったのかもわかりません。暗くなってきて怖かったので中には入れませんでした。

そして最後に三木出身の岸さんオススメの近江寺の仁王像へ。ここは三木でも知る人が少ない、知る人ぞ知る仁王像との事。途中志染川で休む鳥を見て和んだりしつつ、山の方にかなり険しい道を通って仁王門に到着。ちなみにこの険しい道は「鬼やらいの道」と言うらしいです。こちらの仁王は目が抜け落ちてしまっている事もあり、それはそれでかなりオカルトチック。写真で見ると着色の跡も残ってます。腹筋の造形や指のデフォルメ具合なんかにも迫力があり、なかなかのものとも思えるのですが……。さらに500m山の方に車を走らせて近江寺へ。ちょうど夕暮れ時であったのも相まって、まさに山中の古刹といった雰囲気はばっちり。暗すぎて境内をゆっくり廻れなかったのが残念でした。人気もなかったのですが、仁王像の由緒を尋ねるべく「すみませーん、すみませーん」と大声で連呼してご住職に出てきていただき、少しお話を聞くことができました。仁王像に関しては「うーん。まぁなぁ。うーん。仁王さんなぁ。なにがどうという事もないんちゃうかなぁ。」とのこと。今イチはっきりしない感じなのです。伽耶院の仁王像は行基の手によるものらしいが、と問うても「ほんまぁ?そうなんかなぁ。行基さんそんなんでけんやろ。」とのたまう始末。「古いからなぁ、近所の大工さんが『直したろかぁ』言うてちょっと直してくれたりしたんや。『おぉ!なかなかうまいやないか!』とか言うてやっとってんけどな、この大工さんがアル中で死んでしもてな。あれが最後の仕事になってもた。ははは〜!」。お寺の由来を聞いても「大化2年らしいけどな。それは播磨の古い書物に書いてあるからの事であってやな。ほんまのところは…なぁ。わからんよ。秀吉に焼かれてしもて、あの向こうの本堂は200年前にやりかえとるんや。それは確かなんや……。」と、このご住職がなかなかフランクなナイスガイでありました。
wikipediaによれば伽耶院は天台宗で近江寺は真言宗と宗派は別れてしまっているものの、伽耶院は大化元年、近江寺は大化2年、共に法道(インド人)によって相次いで開かれた寺とされています。伽耶院の仁王像が東大寺の大仏建立に招かれたという行基の手によるものであれば近江寺の仁王像も行基の作としても不思議ではないと思うのですが……。どうでしょうか?そこまでの決め打ちは早計にしてもそもそも立派な仁王像があるお寺なんてそうは無いですよね?しかも保存状態は伽耶院の仁王像よりも近江寺の仁王像の方がずっと良いわけですから、素人考えながらもちゃんと調べてみてほしいと思うのですが。近江寺では2月に1300年前からあるという「鬼やらい」という鬼が出てくる行事もあるそうなので来年にはまた行ってみたいと思います。
三木を廻っての印象はとにかく「思ったより古い」ということでした。奈良時代の遺物が生でぼろぼろと出てくる感じがとにかく古い。近いので今後も度々を見てさらに探って行きたいと思います。

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