Diary

Birthday Photo

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誕生日にガールフレンドN氏がケーキを作ってくれました!めっちゃ美味しかったよ!


家島にて

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[mygal=ieshimaweb] ちょっと話は前後しますが、さわやかな6月の始めに姫路の沖にある家島という島に行ってきました。
新快速で一路姫路へ、バスにて姫路港へ、姫路港から船でアイランドへ…。
「遠くに来たな。」という感覚だけを求めて最小限の手間で行けるところを選びました。
姫路から島に入る北西を向いて深い入り江を挟んで二つの港があり、港と港の間の深い入り江には工業と漁業が共存する瀬戸内海の特徴を象徴するように無数の漁船と砂利運搬船が並でいました。
このエキゾチックな風景を見て、神戸から2〜3時間「とにかく俺たちはすごい遠くまで来た。」という意を強くしました。
志みずさんという全室オーシャンビューの旅館があり、旅行時はラッキーな事に我々の貸し切り状態。ここのご主人が私が小・中学校で同級生だった稲富君とアメリカ留学時代のルームメイトだったいうことも判明し、いろいろと親切にしていただきました。
日の出ている間は自転車を借りて心地よいシーブリーズに吹かれながら散策、夜はとにかく魚を食べるだけという贅沢な行程でありました。
亀の手という珍しい貝やアナゴのしゃぶしゃぶというこれまた珍しい料理、そんな中でも印象に残ったのが皮を軽くあぶったサバのお造りでした。私は全くグルメではないのですが、それでもサバってこんなに旨いんすねぇ!とびっくりする美味しさでありました。亀の手の方はタウリンが豊富に含まれているとのことで、もちろんその後の夜の活動に活かされたのは言うまでもありません。
ともあれいわゆる観光地と言えるかどうかは別として、のどかな瀬戸内の島の風情が凝縮された様な家島は我々にとって非常にナイスプレイスでありました。


泰葉氏の離婚について

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昨日・今日と泰葉氏の離婚についての報道が多くされている事に感慨を持っております。
泰葉と聞いて何をしていた人かパッとわかる人ってそんなに多いのでしょうか?恥ずかしながら私は中学生当時、やしきたかじん氏と泰葉氏がパーソナリティーを務める「ハローナショナルショールーム」のヘビーリスナーであった事もあり、何度か阪神百貨店内での公開録音にも独りで出かけた事があります。
あのころはたしかたかじん氏も「あんた」「やっぱ好きやねん」等の代表曲がリリースされた時期で、私個人としてもこの2曲を聴くにつけ、もやもや〜っとした当時の思い出がいろいろと蘇って微かに心が震える事を告白せずには居れません。
しかしながら当時の「ハローナショナルショールーム」公開録音の様子は閑散としたものであり、いかにも暇そうなおっさんが数人。泰葉氏がアルバムに曲を提供した縁で番組の再後期に出演した少女隊の回を除いてはゲストで出てくるミュージシャンもかなり地味な人ばかりであった為、ゲストのファンらしき人もごく少数。私としてはこっそり座っていたつもりだったのだけれども、今思えばポツンと独りで座っている大柄な中学生はさぞかし不気味だったのではないかとちょっと恥ずかしくなってしまいます。
そう言う事もあって当時私は充分に泰葉ファンであったと思います。CDでのアルバムも持っていたし、「フライデーチャイナタウン」が入っているLPも溝の切り方が特殊になっていて針を落とす場所によってかかる曲が違う仕組みになっていた12インチシングルもまだ実家にはあると思います。
ともあれ、当時はどちらかというとお姉さんの峰竜太夫人である美どり氏のほうがタレントとしての存在感はあったし、「フライデーチャイナタウン」の中ヒットはあれどタレントとしての存在感はかなり薄かったし、さらに言えば未だに薄いのではないかと疑わずには居られません。
何が言いたいのかと言うと泰葉氏のマスコミへの露出という意味では皮肉にも今がピークではないかということ。しかも離婚会見後わりといろんな番組に出て離婚の件について語っているのを見るに、別れた相手との生活についてベラベラと語る無粋さが彼女の言う「江戸っ子気質」なのかと。あれが中学生当時ファンであった泰葉氏なのかと。それとも私がただおっさんになってしまっただけなのかと。私が中学生だったあの時代、あの阪神百貨店内のナショナルショールームに独り座っていたあの時から数えておよそ25年の時を経て、今意識する泰葉氏の姿に時の流れを感じずには居れない晩秋の小春日和であります。


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