魔女の家にて

Filed under: Diary / 2月 23, 2009

sany0501

今年初めて魔女の家にガールフレンド氏を連れて行ってきました。魔女の家とは私が年に2〜3度通う占い屋さんであります。

私を良く知る人は私の事をそれなりに占いが好きな男としてご存知であろうと思います。
思えば私と占いの出会いはミスタータナカの導きによってもたらされました。幼少の頃から気にはなりつつも手を付けずにいたタロットカードでしたが、それは4〜5年前、サイケデリックロックに傾倒しつつある時期でもあり、ミスタータナカやコイズミ師の影響もあってオカルト的なものへの興味も高まっていた所でもあり、前のガールフレンドにフられてやや自身の運命を悲観すると言いますか、どこかに希望を見いだしたかった時期でもあり、さらに言えばある種職業的な興味から、そもそもはアレイスタークロウリーのタロットカードを購入すべく、それとなくミスタータナカに「タロットってどうなの?」って訊いてみた所…「タロットですか…僕の姉貴が凝ってたんですけど…あれは止めといた方が良いですよ。」「なんで?」と私。「タロットは当たるからです。はっきり言ってノイローゼになりますよ。当たるから。今の横山さんにはお勧め出来ません。」とのこと。
タロットカードの図画に興味があった私は、正直占いが当たるかどうかなんて期待するどころか考えてもいなかったのですが、そう言えばタロットって占いにも使うのだった…と逆に強く気づかされたのでした。
そうなると余計に興味が湧くのが人情と言うもの。いろいろ調べてみるとクロウリーのタロットはGD系と言って(GDとはGolden Dawnと言う秘密結社の事。同名のサイケのバンドがありますな。)タロットカードとしてはやや特殊な部類に入るとの事。いわゆるスタンダードな版としてウェイト版タロットがモダンな流れでは主流との事。日本版の代理店は「魔女の家BOOKS」というところがやっており、解説本付のカードもあるとの事。
早速買いに行くわけですが、どこに売っているのかもわかりません。とりあえずはコイズミ師と共に東急ハンズへ。東急ハンズにあるにはあったのですが、店員さんに一応確認したにもかかわらず、開封してみると私が買ったものには解説本がついていませんでした。返品するわけですが、開封した際になんとなく中の奥付を見てみると「魔女の家」はなんと我が神戸シティにあるとの事!しかもオフィスは江戸町の高砂ビルでした。(高砂ビルには突撃洋服店があったりしてなんとなく馴染みがある。)再び東急ハンズに戻り事情を説明して返品を受け付けてもらい、今度は魔女の家を目指して一路江戸町へ南下。しかしながら高砂ビルの中にはオフィスがあるだけで誰もいませんでした。ここで普段はものすごいおとなしいコイズミ師が持ち前の粘りを発揮し、ビルの警備員の人に「魔女の家には誰もいないのか?」と尋ねたところ「センタープラザに店があるらしいで。」との事。またここで進路を反転し一路センタープラザへ。すると地下にありました。まさか神戸にあるとは思いもしなかった魔女の家が目の前に!
中には雰囲気バリバリのグッズや本が沢山並んでおり、もう最高。「タロットカードを買いたいのですが。」と声をかけた所、応対して下さったのがアレキサンダー木星王先生その人でした。今思えばこれほど感激する出会いもそう多くはありません。まさに痺れる瞬間でありました。

しかしその期に及んでもまだ私自身占い屋さんで占ってもらう事など考えもしませんでした。ただタロットカードを手にして、自分の家で並べ本を見ながら各々のカードの意味を勉強すれば良いと思っていたのです。
その後自分自身でカードを並べて遊んだりしておったのですが、何とも要領を得ないと言いますか、実際にどう捌けば良いのか占い自体を目にした事も無いのでわかりません。さらに古本屋でタロットカードの解説本を探すと新旧含め必ず木星王先生の本に行き当たると言った具合で、増々オーソリティーとして木星王先生の存在の大きさを知るばかりでありました。ここは、と言いますか、せっかく神戸に住んでいるのに先生のタロットカードの占いをこの目で見ないのは嘘だなと思い立ち、魔女の家に出かけ、占いをお願いしました。行っていきなり「ケルト十字法の手本を見せて下さい。」等と口走った事が思い出されます。実際には星占い&タロットで占ってもらったのですが、この時の経験が占い好きになるきっかけでした。この時に「全部のカードの意味がなかなか覚えられないのです。」と相談しましたが、「全部の意味を丸覚えする必要はありません。カードの図像からあなたなりに感じて読み取る事が重要なのです。」と言っていただき、まさに目から鱗が落ちた事も思い出されます。

その後私がミスタータナカに「木星王先生いけてるで。」と宣伝し、さらにそこから枝葉が別れてヘルーバラウンジの木村君をはじめミスターボビーなど「えぇ?あんたが占いでっか?」と思う様な面々が大挙して魔女の家に押し寄せ、いまだになんとなくそのムーブメントは続いております。
ジーザス西村師を加えたミスタータナカ、私の元町三馬鹿トリオも負けじとモテる魔術の本を買う、モテるマジックポーションをゲットする等、さらにディープにオカルトの世界へと軽快に足を踏み入れて行きました。

私が占いに行くと言うと怪訝な顔をする向きも多いのですが、私に言わせればそう言う奴らこそ占いに関してユアマインドこそが縛られていると反撃せずには居れません。ではなぜあなたは占いに行かないのか?この問いを占いに通う私を馬鹿にする連中に問いたい。
さらに言えば「よう当たるんか?」等と訊いて来る無粋な輩が多い事にも閉口気味であります。当たるか当たらないか等というものは占いにとって何の意味も無いと考えます。もちろんある程度は当たる。ある程度は当たらない。というのがこれは占いというよりも今我々が生きるこの世界の全てに言える事であって、ある事実についてあるその人が何を見て何を見ないのかという事について個体差と言うか個人差があるのが当たり前であるのであり、ある事実をある人がいかに捉えるのかということについて正解を求めるのは無理があるのではないでしょうか。ある程度の認識は共有しつつ、同時に認識の違いも得るというのが人間性の本領ではないでしょうか。
翻ってみれば占いの結果が当たるのか当たらないかを議論する事に何の意味も無いという事です。何も占い結果が人生を決めるわけではありません。期待する未来とは何か。それに対応する事実とは何か。カードや星に人生を暗喩させつつそれを読み取り、自身が決定出来ない希望や選択肢を見つめ、自分自身が思いもよらなかった可能性やアイデアを得る機会であればそれで良いのではないでしょうか。
もちろん占いとは常に、人生にとって青天の霹靂というべきか荒唐無稽であるわけですが、その距離感や飛躍こそが目の前で生成される私のためだけの物語であるのであって、これを心地よくかつ適切に語り聞かせてくれる人こそが優れた占い師であると信じております。それは必然か偶然か、出目の並びを挟んで占い師と向かい合い、そして語り合う時間は創造力をかき立てられるリッチなひとときであると主張させていただきたい。

前置きが長くなりましたが、今回の私の結果は星占いで見るには今年から来年にかけて大きなテーマが表出するのではないかという事。それに呼応するようにタロットカードでも引いた9枚中4枚が大アルカナ(大アルカナとは英語では”Major Arcana”。これも同名のサイケバンドがあります。)というダイナミックな相。私の特に好きなカード「死神」「マジシャン」「愚者」の3枚とやや決定的な意味を持つ「審判」のカードが全部リバースで出ると言う、ダイナミックではあるけれども何とも一筋縄では行かない雰囲気がある相でありました。その他の小アルカナにも女性を表すものが散見され、同時にハートマークに剣が3本突き刺さる図柄のSwordの3も出ており、木星王先生の見立てによれば「仕事上で女性との触れ合いが多いのではないか?それによって救われる事も多いであろう。しなしながら仕事は仕事であって恋愛ではありません。それを間違えたらあきませんよ。」との事。
日頃私のお客さんに女性が多い事に(私にとっては)理不尽にも怒り心頭であった私のガールフレンド氏をまさに直撃するこの鑑定結果に、ガールフレンド氏は「仕込みとちゃうんか?出来過ぎや。」と言い出す始末で全く釈然としないご様子。しかし反面占いは占いであるだけに説得力もかなりのもの。
期待通りと言いますか期待以上の余韻を漂わせる鑑定結果となりました。

遡る事18日、こちらも年間恒例の「恋みくじ」もミスタータナカと連れ立って六甲の八幡神社にて引いてきました。
今回は何と出目が1。内容は「わたしには華がある。」でした。
こちらを見ても今年はダイナミックな感じで行けそうな気がしております。

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