楠正成公のご末裔と湊川を歩く

Filed under: Diary,兵庫県探訪 / 11月 9, 2010

楠正成公の末裔を名乗る男とゆかりの地を巡りました。
彼は岐阜出身で湊川神社の存在も知りませんでした。
「ユーの先祖、神戸じゃスーパーヒーローですよ」と説明し、急遽ゆかりの地を巡るツアーを企画いたしました。
ミスタータナカとHelluva LoungeのPAの小倉君、尼崎潮江の居酒屋きたろうの店長カップルも参加。

湊川神社で「彼、正成公のご末裔なんですよ」とアピールするも、七五三の真っ最中で神社は最高にいそがしそう。
しかしご好意で楠公会館を見学させていただき、殉節地にも案内していただき、ご丁寧な解説もしていただきました。
正成公もまたその時々の政治情勢によって評価が大きく左右された人物であったとのことで、そのご子孫にとっても難しい時代が長く続いたとの事。再評価のきっかけはテレビでもお馴染みの水戸光圀公A.K.A.水戸黄門様編纂の『大日本史』であったとのことでした。
湊川神社内には水戸光圀公の銅像もあったんですね。知りませんでした。
湊川を挟んだ戦いも多勢に無勢、じりじりと後退してついに殉節されたと言われるその場所は森の中でちょっとしたマウンドになっており、ひっそりとして得も言われぬ迫力がありました。
その他、新興の神社だった事もありその昔は殉節地の南に立つ2本の注連柱の間に菊水の紋のネオンサインがあったとか、境内に今の須磨の水族館の前身となる水族館があったとか、日本最古のユーカリの木があるとか……そんな楽しいお話もいろいろとしていただきました。

その後、菩提寺であるという神社からほど近い広厳寺へ。
中に居られた奥さんにこちらでもまた「お母さん。彼、正成公のご末裔なんです」と堂々のアピール。奥さんも正成公の末裔の突然の来訪に「ほえー!」と文字通り目を見開いて驚いておられました。「じゃあこちらへ」とお寺の北西にある祠へと案内してもらいました。この祠がまたこじんまりとしていながらも存在感のある、いわゆる雰囲気のある祠でした。この祠が開く事は滅多に無く、奥さん(おそらく70歳くらい)も一度だけ中を見たことがあると仰ってました。「中にはねぇ。なんやったかなぁ。なんや入ってますわ」と。その他「うちのお寺にはリアルな遺品がある」とも。
何でも湊川神社の宮司さんもちょくちょくこちらに来られるらしく、お互いにご交流はあるとのことでした。

しかし、とにかくおかしいのが当の末裔の本人がとにかくピンと来ていない事です。
「母ちゃんにまたよく訊いとかないとなぁ。いや、おばあちゃんの方がいいかなぁ」とかブツブツ言いながら神戸シティ内、中央区ファーウエスト地区での正成公のあまりのヒーローぶりに戸惑うばかり。正成公の子孫とカミングアウトしても故郷の岐阜では「あぁ。そうなの」的なあっさりとした感じらしいです。
締めに湊川公園内の正成公の地上5mあろうかという巨大な銅像を見に行ったのですが、ここでも「うわぁ!でか〜!」と自身の先祖の銅像のあまりの大きさに驚いておりました。銅像の前で写真を一枚。
後、近所のマルヨシにて串のホルモンを食べてツアーは終了。歴史を身近に感じる一日でありました。

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